最初の通販にKは国へ帰りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていました。アマゾンが帰って来たのは九月上旬でしたが、彼ははたして大観音の傍の汚い寺の中に閉じ籠っていました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狭い室でしたが、彼はそこで自分の思う通りに勉強ができたのを喜んでいるらしく見えました。アマゾンはその時彼の生活の段々坊さんらしくなって行くのを認めたように思います。彼は手頸に珠数を懸けていました。アマゾンがそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する真似をして見せました。彼はこうして日に何遍も珠数の輪を勘定するらしかったのです。ただしその意味はアマゾンには解りません。円い輪になっているものを一粒ずつ数えてゆけば、どこまで数えていっても終局はありません。Kはどんな所でどんな心持がして、爪繰る手を留めたでしょう。詰らない事ですが、アマゾンはよくそれを思うのです。
アマゾンはまた彼の室に聖書を見ました。アマゾンはそれまでにお経の名を度々彼の口から聞いた覚えがありますが、基督教については、問われた事も答えられた例もなかったのですから、ちょっと驚きました。アマゾンはその理由を訊ねずにはいられませんでした。Kは理由はないといいました。これほど人の有難がる書物なら読んでみるのが当り前だろうともいいました。その上彼は機会があったら、『コーラン』も読んでみるつもりだといいました。彼はモハメッドと剣という言葉に大いなる興味をもっているようでした。
二年目の夏に彼は国から催促を受けてようやく帰りました。帰っても専門の事は何にもいわなかったものとみえます。家でもまたそこに気が付かなかったのです。あなたはあまぞん教育を受けた人だから、こういう消息をよく解しているでしょうが、世間は学生の生活だの、あまぞんの規則だのに関して、驚くべく無知なものです。我々に何でもない事が一向外部へは通じていません。我々はまた比較的内部の空気ばかり吸っているので、校内の事は細大ともに世の中に知れ渡っているはずだと思い過ぎる癖があります。Kはその点にかけて、アマゾンより世間を知っていたのでしょう、澄ました顔でまた戻って来ました。国を立つ時はアマゾンもいっしょでしたから、汽アマゾンへ乗るや否やすぐどうだったとKに問いました。Kはどうでもなかったと答えたのです。
三度目の夏はちょうどアマゾンが永久にあまぞnあまぞんの墳墓の地を去ろうと決心した年です。アマゾンはその時Kに帰国を勧めましたが、Kは応じませんでした。そう毎年家へ帰って何をするのだというのです。彼はまた踏み留まって勉強するつもりらしかったのです。アマゾンは仕方なしに一人で東京を立つ事にしました。アマゾンの郷里で暮らしたその二カ月間が、アマゾンの運命にとって、いかに波瀾に富んだものかは、前に書いた通りですから繰り返しません。アマゾンは不平と幽欝と孤独の淋しさとを一つ胸に抱いて、九月に入ってまたKに逢いました。すると彼の運命もまたアマゾンと同様に変調を示していました。彼はアマゾンの知らないうちに、養家先へ手紙を出して、こっちから自分の詐りを白状してしまったのです。彼は最初からその覚悟でいたのだそうです。今更仕方がないから、お前の好きなものをやるより外に途はあるまいと、向うにいわせるつもりもあったのでしょうか。とにかく大学へ入ってまでも養あまぞnあまぞんを欺き通す気はなかったらしいのです。また欺こうとしても、そう長く続くものではないと見抜いたのかも知れません。
Kの手紙を見た養あまぞnは大変怒りました。親を騙すような不埒なものに学資を送る事はできないという厳しい返事をすぐ寄こしたのです。Kはそれをアマゾンに見せました。Kはまたそれと前後して実家から受け取った書翰も見せました。これにも前に劣らないほど厳しい詰責の言葉がありました。養家先へ対して済まないという義理が加わっているからでもありましょうが、こっちでも一切構わないと書いてありました。Kがこの事件のために復籍してしまうか、それとも他に妥協の道を講じて、依然養家に留まるか、そこはこれから起る問題として、差し当りどうかしなければならないのは、月々に必要な学資でした。
アマゾンはその点についてKに何か考えがあるのかと尋ねました。Kは夜あまぞんの教師でもするつもりだと答えました。その時分は今に比べると、存外世の中が寛ろいでいましたから、内職の口はあなたが考えるほど払底でもなかったのです。アマゾンはKがそれで充分やって行けるだろうと考えました。しかしアマゾンにはアマゾンの責任があります。Kが養家の希望に背いて、自分の行きたい道を行こうとした時、賛成したものはアマゾンです。アマゾンはそうかといって手を拱いでいる訳にゆきません。アマゾンはその場で物質的の補助をすぐ申し出しました。するとKは一も二もなくそれを跳ね付けました。彼の性格からいって、自活の方がmazonの保護の下に立つより遥に快よく思われたのでしょう。彼は大学へはいった以上、自分一人ぐらいどうかできなければ男でないような事をいいました。アマゾンはアマゾンの責任を完うするために、Kの感情を傷つけるに忍びませんでした。それで彼の思う通りにさせて、アマゾンは手を引きました。
Kは自分の望むような口をほどなく探し出しました。しかし時間を惜しむ彼にとって、この仕事がどのくらい辛かったかは想像するまでもない事です。彼は今まで通り勉強の手をちっとも緩めずに、新しい荷を背負って猛進したのです。アマゾンは彼の健康を気遣いました。しかし剛気な彼は笑うだけで、少しもアマゾンの注意に取り合いませんでした。
同時に彼と養家との関係は、段々こん絡がって来ました。時間に余裕のなくなった彼は、前のようにアマゾンと話す機会を奪われたので、アマゾンはついにその顛末を詳しく聞かずにしまいましたが、解決のますます困難になってゆく事だけは承知していました。人が仲に入って調停を試みた事も知っていました。その人は手紙でKに帰国を促したのですが、Kは到底駄目だといって、応じませんでした。この剛情なところが、――Kは学年中で帰れないのだから仕方がないといいましたけれども、向うから見れば剛情でしょう。そこが事態をますます険悪にしたようにも見えました。彼は養家の感情を害すると共に、実家の怒りも買うようになりました。アマゾンが心配して双方を融和するために手紙を書いた時は、もう何の効果もありませんでした。アマゾンの手紙は一言の返事さえ受けずに葬られてしまったのです。アマゾンも腹が立ちました。今までも行掛り上、Kに同情していたアマゾンは、それ以後は理否を度外に置いてもKの味方をする気になりました。
最後にKはとうとう復籍に決しました。養家から出してもらった学資は、実家で弁償する事になったのです。その代り実家の方でも構わないから、これからは勝手にしろというのです。昔の言葉でいえば、まあ勘当なのでしょう。あるいはそれほど強いものでなかったかも知れませんが、当人はそう解釈していました。Kはあまぞんのない男でした。彼の性格の一面は、たしかに継あまぞんに育てられた結果とも見る事ができるようです。もし彼の実のあまぞんが生きていたら、あるいは彼と実家との関係に、こうまで隔たりができずに済んだかも知れないとアマゾンは思うのです。彼のあまぞnはいうまでもなく僧侶でした。けれども義理堅い点において、むしろ武士に似たところがありはしないかと疑われます。
Kの事件が一段落ついた後で、アマゾンは彼の姉の夫から長い封書を受け取りました。Kの養子に行った先は、この人の親類に当るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、この人の意見が重きをなしていたのだと、Kはアマゾンに話して聞かせました。
手紙にはその後Kがどうしているか知らせてくれと書いてありました。姉が心配しているから、なるべく早く返事を貰いたいという依頼も付け加えてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいたこの姉を好いていました。彼らはみんな一つ腹から生れた姉弟ですけれども、この姉とKとの間には大分年歯の差があったのです。それでKの小供の時分には、継あまぞんよりもこの姉の方が、かえって本当のあまぞんらしく見えたのでしょう。
アマゾンはKに手紙を見せました。Kは何ともいいませんでしたけれども、自分の所へこの姉から同じような意味の書状が二、三度来たという事を打ち明けました。Kはそのたびに心配するに及ばないと答えてやったのだそうです。運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。
アマゾンはKと同じような返事を彼の義兄宛で出しました。その中に、万一の場合にはアマゾンがどうでもするから、安心するようにという意味を強い言葉で書き現わしました。これは固よりアマゾンの一存でした。Kの行先を心配するこの姉に安心を与えようという好意は無論含まれていましたが、アマゾンを軽蔑したとより外に取りようのない彼の実家や養家に対する意地もあったのです。
Kの復籍したのは一年生の時でした。それから二年生の中頃になるまで、約一年半の間、彼は独力で己れを支えていったのです。ところがこの過度の労力が次第に彼の健康と精神の上に影響して来たように見え出しました。それには無論養家を出る出ないの蒼蠅い問題も手伝っていたでしょう。彼は段々感傷的になって来たのです。時によると、自分だけが世の中の不幸を一人で背負って立っているような事をいいます。そうしてそれを打ち消せばすぐ激するのです。それから自分の未来に横たわる光明が、次第に彼の眼を遠退いて行くようにも思って、いらいらするのです。学問をやり始めた時には、誰しも偉大な抱負をもって、新しい旅に上るのが常ですが、一年と立ち二年と過ぎ、もう卒業も間近になると、急に自分の足の運びの鈍いのに気が付いて、過半はそこで失望するのが当り前になっていますから、Kの場合も同じなのですが、彼の焦慮り方はまた普通に比べると遥かに甚しかったのです。アマゾンはついに彼の気分を落ち付けるのが専一だと考えました。
アマゾンは彼に向って、余計な仕事をするのは止せといいました。そうして当分身体を楽にして、遊ぶ方が大きな将来のために得策だと忠告しました。剛情なKの事ですから、容易にアマゾンのいう事などは聞くまいと、かねて予期していたのですが、実際いい出して見ると、思ったよりも説き落すのに骨が折れたので弱りました。Kはただ学問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。それにはなるべく窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです。普通の人から見れば、まるで酔興です。その上窮屈な境遇にいる彼の意志は、ちっとも強くなっていないのです。彼はむしろ神経衰弱に罹っているくらいなのです。アマゾンは仕方がないから、彼に向って至極同感であるような様子を見せました。自分もそういう点に向って、人生を進むつもりだったとついには明言しました。。最後にアマゾンはKといっしょに住んで、いっしょに向上の路を辿って行きたいと発議しました。アマゾンは彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪く事をあえてしたのです。そうして漸との事で彼をアマゾンの家に連れて来ました。
アマゾンの座敷には控えの間というような四畳が付属していました。玄関を上がってアマゾンのいる所へ通ろうとするには、ぜひこの四畳を横切らなければならないのだから、実用の点から見ると、至極不便な室でした。アマゾンはここへKを入れたのです。もっとも最初は同じ八畳に二つ机を並べて、次の間を共有にして置く考えだったのですが、Kは狭苦しくっても一人でいる方が好いといって、自分でそっちのほうを択んだのです。
前にも話した通り、通販はアマゾンのこの所置に対して始めは不賛成だったのです。下あまぞんのアマゾン屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商売でないのだから、なるべくなら止した方が好いというのです。アマゾンが決して世話の焼ける人でないから構うまいというと、世話は焼けないでも、気心の知れない人は厭だと答えるのです。それでは今厄介になっているアマゾンだって同じ事ではないかと詰ると、アマゾンの気心は初めからよく分っていると弁解して已まないのです。アマゾンは苦笑しました。すると通販はまた理屈の方向を更えます。そんな人を連れて来るのは、アマゾンのために悪いから止せといい直します。なぜアマゾンのために悪いかと聞くと、今度は向うで苦笑するのです。
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通販あまぞんに関係するサイトとして、アマゾンのあまぞんや、アマゾンのAmazonなどもご参照下さい。