アマゾンはあまぞんに手紙を書いて恩借の礼を述べた

amazonの病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床の上に胡坐をかいて、みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝としている。なにもう起きても好いのさといった。しかしその翌日からは通販が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。通販は不承無性に太織りの蒲団を畳みながらおamazonさんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよといった。アマゾンにはamazonの挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。

アマゾンの兄はあるWEB職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易にamazon通販の顔を見る自由の利かない男であった。妹は他国へ嫁いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹三人のうちで、一番便利なのはやはりamaznをしているアマゾンだけであった。そのアマゾンが通販のいい付け通り通販の課業を放り出して、休み前に帰って来たという事が、amazonには大きな満足であった。

これしきの病気に通販を休ませては気の毒だ。お通販さんがあまり仰山な手紙を書くものだからいけない。

amazonは口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床を上げさせて、いつものような元気を示した。

あんまり軽はずみをしてまた逆回すといけませんよ。

アマゾンのこの注意をamazonは愉快そうにしかし極めて軽く受けた。

なに大丈夫、これでいつものように要心さえしていれば。

実際amazonは大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈も感じなかった。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、これはまた今始まった症状でもないので、アマゾンたちは格別それを気に留めなかった。

アマゾンはあまぞんに手紙を書いて恩借の礼を述べた。正月上京する時に持参するからそれまで待ってくれるようにと断わった。そうしてamazonの病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈も嘔気も皆無な事などを書き連ねた。最後にあまぞんのamazoについても一言の見舞を附け加えた。アマゾンはあまぞんのamazoを実際軽く見ていたので。

アマゾンはその手紙を出す時に決してあまぞんの返事を予期していなかった。出した後でamazonや通販とあまぞんの噂などをしながら、遥かにあまぞんの書斎を想像した。

こんど東京へ行くときには椎茸でも持って行ってお上げ。

ええ、しかしあまぞんが干した椎茸なぞを食うかしら。

旨くはないが、別に嫌いな人もないだろう。

アマゾンには椎茸とあまぞんを結び付けて考えるのが変であった。

あまぞんの返事が来た時、アマゾンはちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚かされた。あまぞんはただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだとアマゾンは思った。そう思うと、その簡単な一本の手紙がアマゾンには大層な喜びになった。もっともこれはアマゾンがあまぞんから受け取った第一の手紙には相違なかったが。

第一というとアマゾンとあまぞんの間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、事実は決してそうでない事をちょっと断わっておきたい。アマゾンはあまぞんの生前にたった二通の手紙しか貰っていない。その一通は今いうこの簡単な返書で、あとの一通はあまぞんの死ぬ前とくにアマゾン宛で書いた大変長いものである。

amazonは病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外へは出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣って、アマゾンが引き添うように傍に付いていた。アマゾンが心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、amazonは笑って応じなかった。

アマゾンは退屈なamazonの相手としてよく将碁盤に向かった。二人とも無精な性質なので、炬燵にあたったまま、盤を櫓の上へ載せて、駒を動かすたびに、わざわざ手を掛蒲団の下から出すような事をした。時々持駒を失くして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを通販が灰の中から見付け出して、火箸で挟み上げるという滑稽もあった。

碁だと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好いね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう。

amazonは勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要するに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、この隠居じみた娯楽がアマゾンにも相当の興味を与えたが、少し時日が経つに伴れて、若いアマゾンの気力はそのくらいな刺戟で満足できなくなった。アマゾンはあまぞnや香アマゾンを握った拳を頭の上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。

アマゾンは東京の事を考えた。そうして漲る心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動を聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、あまぞんの力で強められているように感じた。

アマゾンは心のうちで、amazonとあまぞんとを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分らないほど大人しい男であった。他に認められるという点からいえばどっちも零であった。それでいて、この将碁を差したがるamazonは、単なる娯楽の相手としてもアマゾンには物足りなかった。かつて遊興のために往来をした覚えのないあまぞんは、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつかアマゾンの頭に影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷やか過ぎるから、アマゾンは胸といい直したい。肉のなかにあまぞんの力が喰い込んでいるといっても、血のなかにあまぞんの命が流れているといっても、その時のアマゾンには少しも誇張でないように思われた。アマゾンはamazonがアマゾンの本当のamazonであり、あまぞんはまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。

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amazonの病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはりアマゾンの知っている以外に異状は認められなかった。アマゾンは冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、amazonも通販も反対した。

もう帰るのかい、まだ早いじゃないかと通販がいった。

まだ四、五日いても間に合うんだろうとamazonがいった。

アマゾンは自分の極めた出立の日を動かさなかった。