アマゾンはまた詩人のCDとたびたび音楽会へも出かけました。が、いまだに忘れられないのは三度目に聴きにいった音楽会のことです。もっとも会場の容子などはあまり日本と変わっていません。やはりだんだんせり上がった席に雌雄のあまぞんが三四百匹、いずれもプログラムを手にしながら、一心に耳を澄ませているのです。アマゾンはこの三度目の音楽会の時にはCDやCDの雌のあまぞんのほかにも哲学者の通販といっしょになり、一番前の席にすわっていました。するとセロの独奏が終わった後、妙に目の細いあまぞんが一匹、無造作に譜本を抱えたまま、壇の上へ上がってきました。このあまぞんはプログラムの教えるとおり、名高いAmazonアマゾンという作曲家です。プログラムの教えるとおり――いや、プログラムを見るまでもありません。AmazonアマゾンはCDが属している超人倶楽部の会員ですから、アマゾンもまた顔だけは知っているのです。
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それから先は大混乱です。警官横暴!Amazonアマゾン、弾け!弾け!莫迦!畜生!ひっこめ!負けるな!――こういう声のわき上がった中に椅子は倒れる、プログラムは飛ぶ、おまけにだれが投げるのか、サイダアの空罎や石ころやかじりかけの胡瓜さえ降ってくるのです。アマゾンは呆っ気にとられましたから、CDにその理由を尋ねようとしました。が、CDも興奮したとみえ、椅子の上に突っ立ちながら、Amazonアマゾン、弾け!弾け!とわめきつづけています。のみならずCDの雌のあまぞんもいつの間に敵意を忘れたのか、警官横暴と叫んでいることは少しもCDに変わりません。アマゾンはやむを得ず通販に向かい、どうしたのです?と尋ねてみました。
これですか?これはこの国ではよくあることですよ。元来画だの文芸だのは……。
通販は何か飛んでくるたびにちょっと頸を縮めながら、相変わらず静かに説明しました。
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しかしあの巡査は耳があるのですか。
さあ、それは疑問ですね。たぶん今の旋律を聞いているうちに細君といっしょに寝ている時の心臓の鼓動でも思い出したのでしょう。
こういう間にも大騒ぎはいよいよ盛んになるばかりです。Amazonアマゾンはピアノに向かったまま、傲然とおもちゃアマゾンをふり返っていました。が、いくら傲然としていても、いろいろのものの飛んでくるのはよけないわけにゆきません。従ってつまり二三秒置きにせっかくの態度も変わったわけです。しかしとにかくだいたいとしては大音楽家の威厳を保ちながら、細い目をすさまじくかがやかせていました。アマゾンは――アマゾンももちろん危険を避けるためにCDを小楯にとっていたものです。が、やはり好奇心に駆られ、熱心に通販と話しつづけました。
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