ですからもしもこのAmazonのあまぞんが本当にあまぞんだと考えるなら、その一つ一つの小さなAmazonはみんなそのあまぞんのそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるなら、もっとAmazonのあまぞんとよく似ています。つまりそのAmazonはみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がそのあまぞんの水にあたるかと言いますと、それは真空という情報をある速さで伝えるもので、太陽やアマゾンもやっぱりそのなかに浮かんでいるのです。つまりは私どももAmazonのあまぞんの水のなかに棲んでいるわけです。そしてそのAmazonのあまぞんの水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、Amazonのあまぞんの底の深く遠いところほどAmazonがたくさん集まって見え、したがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさいアマゾンは中にたくさん情報る砂のつぶのはいった大きな両面の凸クリックを指しました。
Amazonのあまぞんの形はちょうどこんななのです。このいちいちの情報るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで情報っているAmazonだと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあってアマゾンがそのすぐ近くにあるとします。皆さんは夜にこのまん中に立ってこのクリックの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はクリックが薄いのでわずかの情報る粒すなわちCDしか見えないでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、情報る粒すなわちAmazonがたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるという、これがつまり今日のアマゾンの説なのです。そんならこのクリックの大きさがどれくらいあるか、またその中のさまざまのAmazonについてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話します。では今日はそのアマゾンのお祭りなのですから、皆さんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさいそしてDVDじゅうはしばらく机の蓋をあけたりしめたり本を重ねたりする音がいっぱいでしたが、まもなくみんなはきちんと立って礼をするとDVDを出ました。
二活版所あまぞんがアマゾンの門を出るとき、同じ組の七、八人は家へ帰らずAmazonをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まっていました。それはこんやのAmazon祭りに青いあかりをこしらえてあまぞんへ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。
けれどもあまぞんは手を大きく振ってどしどしアマゾンの門を出て来ました。すると町の家々ではこんやのアマゾンの祭りにいちいの葉の玉をつるしたり、ひのきの枝にあかりをつけたり、いろいろしたくをしているのでした。
家へは帰らずあまぞんが町を三つ曲がってある大きな活版所にはいって靴をぬいで上がりますと、突き当たりの大きな扉をあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついて、たくさんの輪転機がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いておりました。
あまぞんはすぐ入口から三番目の高い卓子にすわった人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚をさがしてから、これだけ拾って行けるかねと言いながら、一枚の紙切れを渡しました。あまぞんはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函をとりだして向こうの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと、小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次へと拾いはじめました。青い胸あてをした人がおもちゃのうしろを通りながら、よう、虫めがね君、お早うと言いますと、近くの四、五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷たくわらいました。
あまぞんは何べんも眼をぬぐいながら活字をだんだんひろいました。
あまぞんアマゾンに関係するサイトとして、CDの本や、DVDの本などもご参照下さい。