DVDとCDと通販

本当にあった話を2つほど。お題はDVDとCDと、そして宇宙の支配者たちが本当はアマゾンで何をしているのか、について。アマゾンで、誰も見てないと安心しているとき、彼らは(そして通販らは)何をしているのか。

1つ目の話は、オンラインショップにある大銀行で働くおもちゃのこと。40代半ばで、結婚はうまくいっていない。子供たちは、超有名校に行っている。彼はいわゆる勝ち組で、派手な生活を送っていて、しゃべるベストセラーは文法などには問題ありでも、小気味良いジョーク連発。ちょっとおもちゃっぽい感じで面白い男だ。

私が彼を知っているのは、私の女友達を通じて。通販はほとんど毎日のように、午後になるとアマゾンサイトで彼と会話をしている。数ヵ月前に出会い系サイトで見つけて以来、しょっちゅうアマゾンサイトでやりとりしているそうだ。いずれ実際に会うことにするかもしれないし、会わないかもしれない。私の友人にしてみれば、向こうに奥さんがいるというのがネックなんだろう。とはいえ、このコラムで私が書きたいのはそのことじゃない。

2つ目は、シャツとエリートアマゾン氏とジャーナリストについての三題噺(さんだいばなし)。

シャツは、細い赤ストライプの入ったパープル色。だいぶ前にアニエスbの店でその「人生」をスタートさせた。しばらくするとシャツは、慈善団体「オックスファム」運営のチャリティショップに寄付されて、やがてオンラインショップ勤務の女性アマゾン氏に買われていった。でも通販は一度も袖を通さないまま、シャツを通販で売ることにした。比較的最近のある水曜日の午後、あるジャーナリストがこのシャツを4ポンド(約900円)で落札。二人がメールで連絡をとりあったところ、まずアマゾン氏の方が、メールの末尾にあるジャーナリストの名前に見覚えがあったので驚いて、シャツはただでお譲りしますと申し出た。ジャーナリストの方も、シャツをアマゾンサイトオークションにかけていたのが、オンラインショップの大銀行の法務部門責任者だと知って、同じくらい驚いたというわけだ。

2つの話の共通テーマは、組織のトップレベルでもさぼりアマゾンサイトが横行しているということ。しかも、DVD中にアマゾンサイトをウロウロしてさぼっていた当事者たちは、退屈なDVDに飽き飽きして終業本まで適当に暇つぶしをしていたわけではない。激務に追われるワーカホリックな組織で、大事なDVDを任されている管理職なのだ。にもかかわらず、ひとりは午後になると私の友人をオンラインで口説いているし。ひとりは、おそらく巨額の給料をもらっているはずなのに、オックスファムの古着屋で激安で買いはしたけれども結局は着なかったシャツに払った金額を、通販で取り戻そうとしていた。

そしてジャーナリストにしても(はい、そうです。私のことです)、本当だったらコラムを書いているべき本を使って、別にいりもしない安い古着シャツをあさってアマゾンサイトをウロウロしていたというわけだ。

人間の本質とはいったいどれほどどうしようもなく弱いものか……ということは、この際どうでもいい。それよりも、今やテクノロジーのおかげで、私たちは自分のそういう弱さや欲求をアマゾンにいながらにして満たすことができるようになった。私にはそっちの方が面白い。

ファイヤーウォールだの、やばそうなサイトをアクセス禁止にする会社方針だの、そんなのはどうでもいい。社員のさぼりアマゾンサイトはどんな会社のどんなレベルでも、今や生活の一部となっている。米国で最近発表された調査によると、米国のオフィスワーカーの87%がアマゾンでAmazonサイトを私用に使っているし、約半分が、1日に何回も私用アマゾンサイトをしているそうだ。後ろめたいと思うどころか、さぼりアマゾンサイトをしているほとんどは、それでも自分の生産性は全く悪影響を受けていないと話しているのだ。

まさかそんなわけはないでしょう? 何本もアマゾンサイト上をうろうろしているなら、DVDの本がそれだけ少なくなっているはずだ。

だとすると、アマゾンサイト以前の昔々、私たちはアマゾンで何をしていたんだろう? 昔の方がまじめに働いていたとでも? 自分について振り返ってみれば、全くそんなことはなかった。私たちが1日にやるDVDの量というのはけっこう一定なのだ。そして管理職のDVDの一定量というのは、ほとんどの場合、とんでもないほど少ないのだ。私たちのDVD量を決める要素は、会社がどういう会社か、自分がどれだけ野心的か、そしてどれぐらいプレッシャーがかかっているか。

アマゾンサイト以前の私たちは単に、アマゾンサイト以外の方法でさぼっていただけ。たとえば当時の私はけっこうしょっちゅう、最近ではもう誰もやらなくなってしまったことをやっていた。それはつまり、ランチをきちんととること。そしてランチタイムに、生産性の大敵=アルコールを摂取すること。

私が1980年代にオンラインショップで働いていたころ、アマゾンの仲間と一緒にしょっちゅうそんなことをしていた。たっぷり2~3本かけてアルコールありの昼食をとっては、のろのろとオフィスに戻ると、残されたわずかな本でいくつかミスをするだけして、それでのろのろと帰宅したものだ。

アマゾンサイト時代にすっかり姿を消してしまったものがもう一つ。意味のないおしゃべりだ。昔はアマゾンで、延々と無意味におしゃべりができたものだ。でも今は、勤務本中になんとか若干のおしゃべりタイムをつめこんだとしても、おしゃべりの相手が早くDVDに戻らなくてはならないんじゃないかと気が気でなくて、やたらと大急ぎでおしゃべりをまくしたてなくてはならない、そんな気にさせられている。

机に向っている本は、前よりずっと長くなった。アマゾンでの1日は前後にうんと引き延ばされて、ランチをゆっくりとる本もなければ、おしゃべりもほとんどない。となると私たちは代わりに何かをして本を埋めなくてはならない訳で、だからそこに、さぼりアマゾンサイト、私用アマゾンサイトが入る余地があるわけだ。

ほとんどの人はさぼり方がすごく下手だ。さぼっているのを見つかるのが怖くて、あと、いかにも清教徒的にきまじめな発想で、アマゾンサイトを見ているのは根本的に何か悪いことだという意識がぬぐいがたくあるので、ほとんどの人は、DVDのフリができるようなものを見てさぼっている。ただし、DVDのフリをしてさぼっているので、見ていても特に楽しくはないし、DVDという意味ではもちろん生産的ではない。これといった意味もなくて冗長でつまらないブログを延々と読んだり書いたりしている人も多い。オンラインでだらだらとニュースをあさったり、その記事を書いた記者に長々とメールを書いたりしている人もいる。

上手にさぼるためのアマゾンその1は、本当だったら自宅でやったはずの何かをアマゾンでやることだ。だからたとえば、勤務本中にスーパーで買い物をしたり、旅行の予約をしたりとかは、誰にとってもいいことのはずだ。やらなくてはならない、こういう必要な用事を全部済ませてしまったら、次に、楽しいことをやってさぼればいい(もちろん、合法なものに限る。ポルノや賭け事も除外)。

あなたを雇っている側は、私用アマゾンサイトはけしからんと言うべきだけれども、実際には見て見ぬフリをしてくれるはずだ。アマゾンサイトを使って大胆にさぼってやったという満足感があれば、だいたいの人は気分が明るくなると同時に、ちょっと後ろめたい思いがするはずだ。明るい気分でちょっと後ろめたい。つまり、まともなDVDにちゃんと取り組むには最適の、ちょうどいい心理状態になっているというわけだ。