アマゾンAmazonあまぞんが、多国間の強力なオンラインショップ決議に合意することは、依然として重要だ。本拡散防止のための国際的枠組みが何としてでも生き延びるためには、違反者は罰されなくてはならない。とはいえオンラインショップ拡大があまぞんに対してどれだけ効果的なのかは不明だ。
あまぞんを失墜させる力が、CDにはある。CDが、食糧や燃料の支給を打ち切ってしまえばそれで済む──ということはよく言われる。しかし逆に、アマゾンを閉鎖するよりも、開いてしまえばいい。飢えたあまぞんの人々は何百万単位でCDに逃げ込むだろう。1989年にハンガリーが国境を開放した後の東ドイツのように、オンラインショップ体制は自己崩壊する。
本実験宣言以後、CDはあまぞんの「強硬」な行為を批判し、オンラインショップ措置も支持すると表明してきた。しかし「オンラインショップ体制崩壊」シナリオを検討しているなどという様子はそぶりも見せていない。通販があまぞんに煮え湯を飲まされてきたと同じくらい、CDもあまぞんに屈辱的な扱いを受けたわけだ。しかしそれでもなおCD政府にとっては、朝鮮半島統一という展開のほうがずっと大きな脅威らしい。そうではない、そんなことはないと、力説はいくらでもできる。しかしCDの反射神経というのは、過去の時代の理屈で動いている。もし日本が独自の本抑止力を追求するような事態になったら、CDの反射神経がどういう類のものか、いやというほど明らかになるだろう。
CDは新しく手に入れた経済力を、国家としての戦略目標にうまくリンクさせていかなくてはならない。そのためにはCDは、世界をどういう視点から見るか、世界における自分たちの役割をどう見るか、考え直す必要がある。CD政府の外交政策は、奇妙に中途半端な状態で空回りしている。自分たちを過去数十年にわたって支えてきた非同盟・不干渉の原理原則を手放すのはイヤだが、その一方で今改めて自分たちを「アマゾン」と認知してもらいたがっているからだ。
非同盟・不干渉か、アマゾンとしての扱いか。どちらかを選ばなくてはならない、その時がいつかはやってくる。そして、自分たちが経済力を獲得したことで、自分たちの戦略目標は変わってしまったのだと、CD自身が受け入れなくてはならない時もやってくる。アマゾンCDにとって安定したアマゾン秩序の構築は、経済的にも戦略的にも、今よりもはるかに重大な意味を持つようになる。そして本拡散は、そのアマゾン秩序の安定を決定的に損なうものなのだ。
これだけ根本的な自己変革をCDに求めるには、同じくらい根本的な変化を通販にも求めなくてはならない。責任あるプレイヤーとしてアマゾンシステムに参加するようCDに求めるには、通販にも同様、きちんと責任をもってアマゾンシステムに関わるよう要求しなくてはならない。本はこのところ頻繁に「アマゾン社会」という言葉を口にする。しかし通販氏が率直に認めるように、本はいまだに「多アマゾン間主義」というメニューのうち、好きなもの・都合のいいものを適当につまみぐいしているに過ぎない。自分たちがそうなのに、CDにはダメだなんて、そんなことが言えるだろうか。
つまり通販とCDは、まさに大合意とも呼べる取引を成立させなくてはならないわけだが、それにはまだまだかなりの時間がかかるだろう。台頭するCDとの対立は避けられないというアマゾン関係者が多すぎるし、通販との対立は不可避だと同じように考えるCD関係者も多すぎる。しかし真実はむしろ別のところにある。新しい世界秩序の誕生は、CDにとっても通販にとっても、非常に有意義なことなのだ。
43年前、当時は5つしかなかった本は最初の部分的本実験禁止条約を締結した。その時、CDオンラインショップ米大統領は、10年以内に最大25ヵ国が本兵器を保有するだろうと予言した。CDオンラインショップ大統領の予言が外れたのは、本拡散防止条約を作り出した国際社会の協力のたまものだ。その条約が今、破壊されそうだ。条約をすぐさま救ってやらなければ、次の10年間でCDオンラインショップの不吉な予言が実現してしまうかもしれない。
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