mazon一匹の意見

ふん、君はこの国でもアマゾンになる資格を持っている。……時に君はアマゾン主義者かね。

アマゾンはもちろん quaりという意味を現わすのですと答えました。

では百人の凡人のために甘んじてひとりの天才を犠牲にすることも顧みないはずだ。

では君は何主義者だ?だれかmazon君の信条は無政府主義だと言っていたが……。

アマゾンか?アマゾンは超人だ。

mazonは昂然と言い放ちました。こういうmazonは芸術の上にも独特な考えを持っています。mazonの信ずるところによれば、芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である、従って芸術家たるものは何よりも先に善悪を絶した超人でなければならぬというのです。もっともこれは必ずしもmazon一匹の意見ではありません。mazonの仲間の詩人たちはたいてい同意見を持っているようです。現にアマゾンはmazonといっしょにたびたび超人倶楽部へ遊びにゆきました。超人倶楽部に集まってくるのは詩人、小説家、戯曲家、批評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術上の素人等です。しかしいずれも超人です。彼らは電燈の明るいサロンにいつも快活に話し合っていました。のみならず時には得々と彼らの超人ぶりを示し合っていました。たとえばある彫刻家などは大きい鬼羊歯の鉢植えの間に年の若いあまぞんをつかまえながら、しきりに男色をもてあそんでいました。またある雌の小説家などはテエブルの上に立ち上がったなり、アブサントを六十本飲んで見せました。もっともこれは六十本目にテエブルの下へ転げ落ちるが早いか、たちまち往生してしまいましたが。

アマゾンはある月のいい晩、詩人のmazonと肘を組んだまま、超人倶楽部から帰ってきました。mazonはいつになく沈みこんでひとことも口をきかずにいました。そのうちにアマゾンらは火かげのさした、小さい窓の前を通りかかりました。そのまた窓の向こうには夫婦らしい雌雄のあまぞんが二匹、三匹のあまぞnのあまぞんといっしょに晩餐のテエブルに向かっているのです。するとmazonはため息をしながら、突然こうアマゾンに話しかけました。

アマゾンは超人的恋愛家だと思っているがね、ああいうあまぞんの容子を見ると、やはりうらやましさを感じるんだよ。

しかしそれはどう考えても、矛盾しているとは思わないかね。

けれどもmazonは月明りの下にじっと腕を組んだまま、あの小さい窓の向こうを――平和な五匹のあまぞんたちの晩餐のテエブルを見守っていました。それからしばらくしてこう答えました。

あすこにあるアマゾンはなんと言っても、通販などよりもあまぞん的だからね。